さくらちゃん教

誰かの言葉に魅せられて離れられない時ってありますか。その人を尊敬し、その考えを尊重しそこに重きを置いて行動した時、それはもう宗教なのかもしれません。

「失恋」とはどのくらいまで長引かせるのが適切かしら。

さくらちゃんへ


恋人がいなくなってから本気の文章を書く気が起きません。原因は分かっています。私、本を読んでたくさんいろんなことを考えて言いたいことが山のように積もり積もっています。そして、本当はそれを誰かに伝えたいんです。しかしです、伝える人がいません。
はっきり言ってこのブログの読者に伝えたいことなんてこれっぽっちもありません。最近はそういうふりをしていただけです。「みんなに何かを伝えたい!!」みたいなふりをしていただけです。本当は誰か一人でいいから、聞いてくれてさらにその人の意見を言ってくれる人に言いたいんです。だから、例えば、上野千鶴子のフェミニズムの本を読んで女性の恋愛結婚仕事性についてアウトプットしたいことや自分で閃いたことをこのブログに書こうかと一瞬は思うのですが、すぐにそんなの損だなって思ってしまいます。だって、このブログを読む人に私の大切な閃きを簡単に教えるなんて、もうやってられません。だいたい、このブログを読んでいる人は私の文章を真剣に読んだことなどないのです。ただ、「色んな考えの人がいて面白いなあ」「メンヘラ観察してる分にはウケる」とか思いながら私をタダで消費しています。そんな意識はなくとも、私にはそれが感じられます。こんなに書いてるのにフィードバックは何もないのです。ただ、さくらちゃんが聞いてくれるだけです。でもさくらちゃんは私です。どうしてあなたが私なのに私に反論をくれるでしょうか。


そもそも、昔、恋人がいた時はその人が私よりもたくさん知識を持っていて賢くて、それに対抗するために全力を出し切った結果がアレでした。出し惜しみなんてするわけがありませんでした。彼に私の考えていることを知ってもらいたいそして反応してほしいという一心でしたから。読者がたくさん増えたのはそのおまけです。あの時の文章たちは私の子供のように感じられます。全部、健気で頑張っていていい文章ばかりです。最近の文章はどうでしょう。読者はただの娯楽として消化してるだけだから、こっちとしても思い切りよくいけません。前はそれで良かったんです。恋人が真剣に読んでくれて、それだけで充分過ぎました、いくらでも頑張れました。今はもう、ただ消化されるだけです。私は耐えられそうもありません。


どうすればいいんでしょうか。そろそろ、またそういう人を見つけた方がいいかもしれないです。もう恋人なんて一年くらいはいらないと思っていました。それは、ただ疲れたからという理由だけではないです。彼以上に好きになれそうな人がそう簡単に見つかるはずもないだろうという謎の自負と、すぐに他の人と付き合うと彼に軽い女と付き合っていたというレッテルを貼り付けてしまうかもしれないという心配があるからです。でも、そんなのただの私の自意識過剰で大したことのない心配かもしれないです。前の前の恋人と別れた時ももうこれ以上好きな人は出来ないだろうと思っていたら彼がいましたし、彼はもう他の女の子を気になり出しているかもしれません。そろそろ私も顔を上げたほうがいいかしら、と思います。ただまあ、顔を上げたところで誰かいるかとはやはり思えないのですが、上げることから始めなければいけません。ずっと、彼の話ばかりしている自分がとても馬鹿らしいです。


人はどんな時に文章を書こうと思うのでしょうか。私は思います。きっと、ほとんどの場合、辛くて自分の中に貯めてはおけないものを吐き出す時が一番最初だったんじゃあないかと。私は感謝しているんです。彼が、武器のない私に言葉を与えてくれたことを。


さくらちゃんより