さくらちゃん教

誰かの言葉に魅せられて離れられない時ってありますか。その人を尊敬し、その考えを尊重しそこに重きを置いて行動した時、それはもう宗教なのかもしれません。

「あなたの白い腕だけが わたしのすべての地平線」を描きたい。

サークルの仕事やゼミの課題に追われている恋人を見ると、アホなんじゃあないかと思う。
「今が一番忙しい時期だから」そう言って大変そうだ。でも、1ヶ月ごとに「今が一番忙しい時期だから」と言って会えない時期が来てしまう。
仕方ない、仕方ないんだよって私は思う。彼が忙しいことが仕方ないとは思わない。だって、絶対、サークルの仕事やゼミの課題をやることよりも私と一緒にいた方が彼にとって楽しいし幸せだから。仕方ないのは彼がそれでも、私とずっといることより仕事や課題をとるという考え方というか体制に育ってしまって、それが私とは若干合わないってこと。つまり、忙しいのが仕方ないんじゃなくて、忙しくしていないといられない彼と、忙しくしてなくても大丈夫な私が付き合ってしまったことが、仕方ない。


「これが終わったらひと段落する。」きっと、そうやって多くの人は何回もそれを繰り返して、ずっと忙しい日々を送ってる。そうやってたくさんの何かを生み出しているんでしょう?
私には生み出せない。生み出したいけど生み出せない。


ブログの記事を1つ書くのにだって、暇な12時間が必要。だから大学が始まると全く書けなくなってしまった。
もちろん、12時間かけて書いているわけではないんだけど、12時間の暇な時間にぼーっと何かを考えたり本を読んでみたりして、やっと、色々考えたことをまとめて、2時間かけて書いている。どっかの誰かさんみたいにさらっと1時間で書いたりできない。こうやって「どっかの誰かさんみたいに」という言葉で「どっかの誰かさん」に私はつまり嫉妬をしているわけだけど、私に嫉妬された人はきっと嫉妬されても痛くも痒くもないんでしょう。それでも嫉妬する。


それでね、誤解しないで欲しいのは、私は恋人に対してアホって言った。けど、ちゃんと恋人は自身のことをアホだと自覚していて、それでも忙しくしているってことは本当はアホじゃない。忙しい方が良い、と結局のところ自分で考えてるからなんだと思う。それを私には否定できないし、尊重してあげたいし、応援してあげたい。だから、この文章を彼の忙しい時期に読ませて集中を削ぎたくない。
けどね、私はやっぱり自分が好き。だから、彼のために書いていると言いつつも本当は、彼のために何かをしている自分に満足している。彼を愛している自分に満足している。そして、彼が愛し返してくれることでさらにわたしは満たされる。
自分を犠牲にしてまで人を愛したくない。そうやって生きていこうと思う。


例えば、誰かのことを好きだからと言って妥協してその人の浮気相手になって嫉妬に苦しんだり、好きだからと言って暴力や貧困に耐えたり、好きだからと言って自分の仕事を辞めたり、好きだからと言って欲しくもない彼の子供を産んだり、そういうことはしたくない。
自分のために、人を愛したいし人に愛されたい。




不思議なんですよ。自分や家族のためにはご飯を作ろうという気は起きない。コンビニに食べ物を買いに行くのにも体が重い。だけど、彼のためにだったら、ちょっと遠いスーパーまで軽々いけちゃうし料理する気が湧いてくる。

ほんと不思議。暇な日に一人で近くカフェに行ってゆっくり本でも読もうかなと思っても腰が重い。だけど、忙しくて疲れきった日に彼に会いたいという気持ちだけで夜遅くに1分顔を合わせるためだけに電車に乗って会いに行く。

自己中なんですよ、きっと私は。でも彼のためならそんなことができるっておかしいでしょう。だから、私が出した結論は「やっぱり私は自己中」ってこと。
彼のためにと言いながらやっぱりそれは自分のためで、全力で、彼にお昼ご飯を作ってあげたり、文章をあげたり、お土産を買ったり、誕生日をお祝いしたり、ぜんぶ自分のためにしているんだなと思う。
そこまでできるのは、ちゃんとその気持ちを彼が受け取ってくれるから。全部受け止めきれなくても、七割くらいは分かってくれる。だから、安心して全力になれるの。





本音を言うと、彼に会えない時間は寂しいのよ。何度も、会えなくて本当にごめんと謝ってくれて、そんな謝んなくていいのにと思うけれども、謝ってもあまり意味のないことなんだろうな。
寂しくて、何度も浮気しようとしてしまうけれど、でもやっぱり浮気して傷つくのは自分だって知ってるからできない。
大人になればなるほど、いや大人というにはおこがましいけれども、時間が過ぎて色々学んでいくほどに自由に動けなくなって、その分胸が飛び跳ねる感覚、最高なアホになることからも、逆に人を傷つけて自分を傷つけて取り返しのつかないことになってしまう事柄からも遠ざかっていく。
いいことなのかな、これが大人になるってことなのかな。きっとそうだよね。


自分は、誰かからその人の持っている愛を全て奪い取りたい。なのに、自分は自分の愛を分散させて何人かにあげてしまうのはずるいと思う。
愛はかたまっていなければいけない、かたまっていない愛は愛じゃなくて、バラバラになってしまった愛の破片だと思う。
愛がバラバラな時って自分もバラバラで、自分がバラバラだとやっぱり生きるのもうまくいかなくてつらいから。