私には、小説みたいな恋は出来ない。
さくらちゃんは、いつも、ソックスなんて履いているけど、それは、足首にいつも巻いてある金のアンクレットを隠すためだ。男の人と会うときだけ、彼女は、それを見せるのだ。シーツの上で、さらさら揺れると、綺麗なのよ。そう、私に言ったことがある。それも、ココアにバターを落とすと、おいしいのよ、というような自然な調子で私にひそひそと話して聞かせるのだ。
憧れていた。こんな風な私に。
やっと、金のアンクレットを、手に入れた。でも、ぜんぜん、山田詠美の小説の登場人物には、私、なれなかった。
恋人に、綿密に、どんなかたちのものが欲しいかレクチャーした。もらったものは、完璧だった。普段は、誰にもばれないように、よく目を凝らさないと、見えない、足首のくぼみに埋もれてしまうほど繊細な、細い鎖のような、金のアンクレット。
だけれど、それは、本当に繊細で細すぎて、壊れてしまうんじゃないかって、怖くて付けることが出来ない。普段はおろか、シーツの上で、さらさら揺らすことだって、そんな余裕はないのだ。揺らそうとしたら、不自然な格好になるに決まっている。
悲しかった。小説の登場人物と、私って違うんだって。小説のような美しさに憧れても、実際には、小説ってそこまで、具体的な役には立たない。
アンクレットは財布の中。
金もくせいの匂いがする
甘くて歯が痛くなりそう
秋には恋に落ちないって決めていたけど
もう先に歯が痛い
金もくせいを食べたの
金もくせいも食べたの
だから
歯の痛みにはキス
素顔に真っ赤な口紅だけ引いた年上の彼女が、キスをする。そしたら、彼の唇に口紅がついた。まるでクレヨンで線を引いたみたいに。
そんな秋が、私にも来るかもって、少しだけ期待してた。恋をしたら。だけど、秋に来たのは、金もくせいの甘い匂いとは対照的な、苦い思い出だけ。私が歯が痛いと思ったらそれは虫歯だし、素顔に真っ赤な唇だけなんて、絶対、できない。わたしがすっぴんで外に出たら、高三か浪人の受験生ですか?って聞かれちゃう。
小説への憧れは、現実との裏切りで、さらに増す。現実は違う。
夏に恋が似合う、なんて言いながら、主人公が、彼との思い出のお酒の味に似てる、渋いジントニックを飲んでいるシーンに憧れた。でも、私が初めてジントニックを飲んだのは、安い居酒屋の甘ったるいジントニックだ。
あーあ、どうして、こうなんだろう。やっぱり、背伸びってかっこ悪いのかしら。小説のまねをしても、同じ気持ちにはなれない。気持ちがあって、あとから、小説の一節が、これ、私のものだって感じられる。お酒を飲んで、恋を思い出せるようになる日は、いつになったら来るんだろう。