さくらちゃん教

誰かの言葉に魅せられて離れられない時ってありますか。その人を尊敬し、その考えを尊重しそこに重きを置いて行動した時、それはもう宗教なのかもしれません。

別れた恋人の誕生日のために取っておいたホテルで、一人焼肉しながら書く日記。

f:id:mi_sakura:20190528173750j:plain誰よりも大好きなさくらちゃんへ



私には親友がいません。心を許せる相手がいません。

さくらちゃんには親友っていますか。
私は自分に友達はいるけれど親友なんていないと思います。この世の誰とも心が通じ合ってる気がしません。それは今まで付き合ってきた恋人も家族も部活でほとんど同じ時間を過ごしていた友達誰に対してもそう思います。だって、今こんなに寂しくて誰かの胸で泣きたい気分で話したいことも山ほどあるのに、電話をしたりメッセージを送る相手がいません。だから、今は自分と友達になるんです。私だけが私の日記の真の意味を汲み取ってくれるし、私だけが私に本当の気持ちを伝えられます。

だから、私の気持ちを聞いてください。


私、もっと自分が強いと思っていました。別れてしまった恋人の誕生日に泊まるために予約していた部屋に一人で泊まって楽しめると思っていました。昨日今日でお母さんがとても不機嫌で、午前中、家で寝っ転がって本を読んでいたら朝の洗い物だって私がしたのに「洗濯してくれない?」なんて、自分は仕事もないくせに図々しいことを言ってきて私が断ったら、「ほんとクズだね。早く自分がクズなことに気づいた方がいいよ。」と言われました。相手していられるわけがありません。だから、家出できる場所があるなんてラッキーくらいに思っていました。
でも今、寂しくて死にそうです。寂しさに負けて、あんな理不尽な母がいる家に帰りたいとすら思えますし、別れた恋人かその前の前の恋人を呼ぼうか考えたほどです。きっと彼らは呼んだら喜んで飛んできてくれるでしょうけれど、そんなことしても寂しさが一層に増すだけなのはここ一年で痛いほどよくわかっているのです。なんて彼らは私のことが好きじゃあないんだ、と思います。もう少し、私の気持ちを考えてくれてもいいのではないかと思います。好きでもないのに、寝るのはオーケーだなんて私を傷つけることはわかっているでしょう。それでもそういうことをしてきます。いっそ、寝るのも嫌なくらい嫌いでいてくれた方が私としては穏やかな気持ちで過ごせるのに。


私は本当に前の恋人たちへの気持ちが冷めてしまいました。何が、私を冷めさせた要因だと思いますか。それは、彼らに余裕がないのが垣間見えた瞬間です。私は自分より余裕があって尊敬できて、よくあるJ-popの歌詞のようなことなんて言わないような色気のある男が好きです。私が好きになった人はそういう男だと思っていました。でもずっとそんな風でいられる人なんてなかなかいないのかもしれないです。

数日前の文化祭の日、私がサークルで出しているお店で売り子をしていたら買いにやって来てくれました。でも、彼は可愛い女の子と二人でわざわざ私に見せつけるようにやってきました。なんて、ダサいことをするんでしょう、と私は思いました。少しでも気が使える男だったら、一人で堂々とやってくるかそれとももう私の目の前に顔を出さないでしょう。
今日だって、私が寂しくしているとわかっているだろうに、一年前付き合っていた人がわざわざ「寂しいなら行ってあげようか。でも最近彼女とうまくいっているからな、今日もラブラブだったし。」という趣旨の内容を送ってきました。わざわざそんなことを言うなんて、よっぽど余裕がないんでしょうと逆に私は冷めてしまって、彼のその行ってあげようかという誘惑に打ち勝つことができました。そのメッセージがくるまでは本当に寂しくて誰でもいいから来て欲しいとすら思っていたのに。

もう、私は前と違います。彼らは私よりも強くてかっこよくて超えられない存在だと思っていました。でも今は私は彼らを超えた気がします。明確な根拠なんてありません。ただ、なんだか彼らに心惹かれたりしなくなっただけですが。
さくらちゃんならわかってくれるでしょう、この気持ち。



私は、夢見がちだったのかもしれません。それは恋愛、そして恋人という存在に対してです。私の足りない部分や欲しい愛を全て補ってくれる存在だと意識しなくとも心の奥深くでは感じていたのでしょう。だからこそ、自分がなりたいような尊敬できる人を選んでいました。彼らと付き合えば自分の一部になるような気がしていました。
彼らも私のことが多少なりとは好きだったのでしょう。頑張ってくれました。自尊心の少ない私のことを優しく叱ってくれ、たくさん褒めてくれました。その度に、幸せな気持ちになりました。それは当然です、だって私が欲しかったのはそういうものですから、そういう存在ですから。なんて幸せだったのでしょう。
でも、彼らも私と同じ人間だったのです。「人にしてもらいたいことを人にしてあげ、されたくないことはするな」という言葉があります。あれは本当は嘘です。人それぞれされたいことやされたくないことは違います。自分の主観で他人のことなど判断できないのです。しかしです、みんな人間だということは同じなのです。それを忘れていたのは私でした。彼らが私のことを満たしてくれる「恋人」としてしか見ることができませんでした。私と同じだとは思いませんでした。




もちろん、好きでした。全身であなたのことが好きだと表そうと努力していたあの日々を遠い目で覚えているけれど、好きな気持ちがすっかりなくなって本当に好きだったんだっけ?って思うくらいになってしまって、どれが自分かわからなくなって、記憶を疑い始めて、自分のことを信じられなくなってしまいました。
どっちが本当の自分とかそういうのはなくて、あの時の私も私だって思いたいんですけど、あまりにも気持ちに差がありすぎてとんでもない喪失感に襲われています。まるであの期間の私を失ったように。
だからね、あの人は死んだんです。
私も一緒に死にました。
恋をしたらアホウになるって思うでしょう?でも恋をしている期間はバカなんかじゃなくてただ今とは違う価値観を持っていただけなんじゃないかと思います。今の私の価値観だと恋をしていた時の私はアホウだけれども、その時の私にとって一番やるべきことは全力で恋愛することでしたし、何が一番幸せかって彼と一緒にいることだったと思いますから。だから、恋をしていた自分のことをバカにしないであげようかなって思います。
でもやっぱり私の今の価値観だと恋をしている自分は情緒不安定すぎで、仕事も勉強も何も手についていなくてどうしようもないバカだなと思います。だからもう二度と同じことは繰り返したくないです。


さくらちゃんの周りにも恋をしてる人のこと、バカにしてる人いるでしょう。あれって嫉妬した負け犬的発言に一概に決めつけられがちだけれども、実際にバカにすべき点が多いと思いません?恋人がいる人は恋人の存在によって精神が安定したり快楽を得られたりすることがあるのは認めるけれども、どう考えてもそこを通り越して依存して情緒不安定になって自分の時間も取られて自滅している人がたくさんいます。羞恥心を忘れて恋人に自分の裸を隅々まで見せて、それ以上に自分の弱い部分もさらけ出して、裸以上に恥ずかしい自分の中身をさらけ出してしまって、その恋が終わった後はなんて恥ずかしかったんだろうと赤面するような。
今の私はそんな恥ずかしいことはしたくないです。私自分のこと大したことのない人間だと思ってて、でも、大したことのある人間になりたくて、だから、自分で大したことあるって思えるようになるまで好きな人とは付き合えないです。




実を言うと、今の私は「避妊しながらのセックスがなんて非生産的なんでしょう」と、余裕の笑みを浮かべることだってできます......。


そうそう、セックスについて考えるとたまに思い出すことがあります。今日も思い出しました。それは、中三の時に亡くなった同級生の男の子のことです。彼とは中一の時同じクラスで席も出席番号が隣だったのでそこそこ話しました。でも中一の時の男子ってそれはそれはお猿さんで、共学だった女子のみなさんはわかると思いますけど、彼もクラスの中で人一倍下ネタばっかり言ってました。それも、面白い下ネタなんかじゃあなくて、ただ下ネタワードを連発するとか、ロビンソンの歌詞を「誰も触れない 二人だけのク○ニ」とか(これを大声で歌ってるのがあまりにも酷すぎてとてもよく覚えています)。特に「ああ〜セックスしたい〜」とか周りのお猿さんとつるんでずっと言っていました。
でも、きっと、彼は死ぬ前にセックスできなかったでしょう。あんなにセックスしたがってずっと下ネタばかり言っていたのに、彼はできずに死んでしまいました。そのことが当時の私の中では怖くて仕方ありませんでした。実は誰か彼にさせてあげていたらなあと思いますが、きっと誰もさせてあげていないでしょう。

しかし、どうでしょう、実際は私の方が不憫かもしれません。遠足の当日よりもその準備をする前の日の方がワクワクするように、レストランで満腹になる前よりもメニューを見て選ぶ時の方が幸せなように、セックスを実際にしてしまうよりもする前の無限の広がりを感じている時の方が楽しかった気がします。
彼がその楽しい、美味しい蜜の部分だけを吸い取って死んでいったのは幸せなことなのかもしれません。



私は、自分の行動に何でもかんでも理由をつけて、いつでももっともらしくしようと頑張っています。カッコつけながらずっと過ごしています。かっこつけるのはたまに虚しくなってしまうときもあるけれど、そうやって自分の過ごした生活をどれだけ上手にかっこつけられるかが勝負だと今は信じています。だから、今の時点で生きていて最高で、遠足も行けて、満腹に食べられて、セックスがどんなものなのかも知ることができて、そして恋人と別れた自分がここにいて、良かったと、そう思います。

だってそうでしょう?
私はどんな時でもかっこよくいたいです。夜の寂寞の中で1人苦悩し毎日にけじめをつけている私はかっこいいでしょう?


言いたいことを何の脈絡もなく連ねただけだけどさくらちゃんが聞いてくれてかなり落ち着きました。ありがとう。


それでは、また明日。




誕生日おめでとう。
私はあなたが生まれてきてくれて良かったと思います。楽しかったですから。




さくらちゃんより