さくらちゃん教

誰かの言葉に魅せられて離れられない時ってありますか。その人を尊敬し、その考えを尊重しそこに重きを置いて行動した時、それはもう宗教なのかもしれません。

マッチョが恋しい

 

高校の同期にね、マッチョという男子がいたの。

 


私は中高ではバスケ部だったから、毎日汗を流して足やお尻についた筋肉はカチカチだった。それでも、高三の五月の末には引退して、受験勉強の日々が待っていて、そうするとだんだん筋肉は落ちていき、前とはお尻の質がだいぶ柔らかくなったおかげで座り心地がフカフカになった気がする。座り心地がフカフカになったことはいいことかもしれないが、前よりも脂肪がつき、私たち元運動部女子が言いがちなのはこれだ。

「筋肉が脂肪に変わっちゃった〜、やばい〜〜」

 


しかし彼は私に言い放った。

 


「筋肉は脂肪に変わらない。それは筋肉が落ちて、さらに脂肪がついたんだよ。」

 


この言葉は今でもよく思い出す。だって、すごい傷ついたから。私、筋肉落ちたうえに脂肪がついたなんて。それなのに筋肉が脂肪に変わっただなんてアホなこと言って痛烈な指摘を食らった。当たり前じゃない、たんぱく質と脂質が違う物質だなんてこと、勝手に体の中で変換したりしないことバカでもわかるわ。理系の私が文系の彼に指摘されるなんて......。

 


彼は「マッチョ」だった。だから本名で呼ばれることもあればマッチョと呼ばれれることもあって、ここではマッチョと呼ぶことにする。

 


私、マッチョが恋しい。それは彼が、私のダイエットに付き合ってくれて一時期送りつけていた私の食事全部の写真や運動の仕方にアドバイスくれたりしたこととか(結局痩せなかったんだけど)、失恋してズルズルに引きずっていた時に話聞いてくれて「そいつの写真全部ここで消せ」って言って消す決意を持たせてくれたりだとか(結局引きずりすぎていたから写真はその後すぐに復元しちゃったんだけど)、体育祭の練習でクラスの女子20人に押しつぶされて足の骨3本折ったせいで高校の最後の夏休みを松葉杖で過ごすことになっちゃって、クラスの女子とは一言も喋りたくないくらいに恨んでいたからマッチョが駅から学校まで私の荷物を持ってくれたこととか(結局学校着いたらクラスの女子とも喋っちゃたんだけど)。まあそういうのも色々あるんだけど、

一番は勉強する時に隣にいてくれたことが恋しい。

 

 

 

私とマッチョは学校の近くの同じ塾に通っていた。そこは基本、自習型勉強だったから広い自習室には仕切られてた机が並んでいた。私とマッチョはだいたいいつも、空いていたら隣同士に座っていた。私が左で、マッチョが右。友達が隣に座っていたら勉強しにくいって思うかもしれない。私も最初はそう思っていた。だから同じ部活の子たちとはわざわざ離れたところに座っていたんだけど、彼だったら隣に座っていても勉強できた。むしろ、彼がいた方が若干やる気が出た気もする。

 


勉強する時に隣に人がいてくれることすごい大切なんだなって今ならわかる。

特に示し合わせて隣に座っていたわけではないけど、休日もマッチョ来てるかなあという感覚で塾に向かったり、キリが良かったら彼がお昼ご飯行くタイミングで私も行こうかなあと考えたり(喋りすぎるからよくなかったけど)。

彼が隣に座って勉強していることは、私の受験勉強のスタンダードになっていた。

 


思えば今まで、一人で勉強したことなかった気がする。いつも周りには一緒に勉強する誰かがいて、なんだかんだ流れで勉強していた。

今は何に流されて勉強すればいいのだろう。

 

 

 

 

 

 

「人は孤独を癒すために恋愛するのではなく、恋愛するからこそ他人にどうしても委ねることのできない孤独を、心から味わうのです。」

これが上野千鶴子の言葉で、

「恋愛っていうのはね必ず片思いなのね。」

これが岡本敏子の言葉。

私は、恋愛することで自分の中のどうしても言葉では他人に伝わりきらない気持ちとか、どんなに好きでも分かり合えない部分があることを学んだ気がする。だから、人間はみんな孤独だって言いがちで、寂しくて寂しくてそれに対抗しようとして一人でずっと部屋にこもって耐えることが最近は私の中の戦いみたいになってしまっている。

本当は、私の文章とか話にシンパシーを感じて好きって言ってくれる人がいたら飛び跳ねるくらい嬉しいのに、ありがとうと言うのが正しいのかどうか分からなくてそう素直に言うこともためらってしまう。本当は、自分の誕生日を祝って欲しいけどSNSで自分から言うのは恥ずかしいし他の人の誕生日を盛大に祝うとお返ししなきゃ!とプレッシャーを与えてしまうかもしれないと思って人の誕生日も思い切り祝ってあげることもできない。別れた恋人とはせっかく、あれだけ仲良くしようと二人で努力した日々を重ねたのだから、別れても仲良くしたいと思うけど、いざ「友達になりたい」って言われると「なにそれ、そんなの無理に決まってるじゃない」って思って全部ブロックしてしまう。

 

自分が他人に何かを求めているのは確実なんだけど、それが何かが分からない。

ただただ寂しいという感情だけが渦巻いて、わけもなく泣いて、わけもなく、なんとなく、生きている。

 

こうやって言葉にすることは私の中で大切なことだけど、言葉にするだけじゃダメで生活の中でも何かを残したいことを私は感じている。

だからそのために勉強をしたいんだけど、誰も隣にいない。

 

結局1人だっていう人がいる。そんなこともあるかもしれないし、そんなこともないかもしれない。

 

 

マッチョが隣で勉強してくれればなあ。

それで、「今日顔丸くない?」とか「昨日のブログ名作だったよ、彼女に見せたら泣いてたわ。」とか毎日言ってくれれば私は勉強もっと捗る気がする。