さくらちゃん教

誰かの言葉に魅せられて離れられない時ってありますか。その人を尊敬し、その考えを尊重しそこに重きを置いて行動した時、それはもう宗教なのかもしれません。

夜中に富士山のこと考えていたら、人生についても考えてた。

富士山、富士山ってとても大きい。富士山はすごい。
でも、私、もっとすごいこと思いついた。富士山を壊しちゃうってのはどう?富士山をそのままにしておいて眺めておくよりも、富士山の頂上から、壊していくのはどうかな。ソフトクリームの先っぽをパクッと口に含むように。きっと、すごい快感だよ。だって、ソフトクリームでさえ、一番先を食べるときは最高に幸せだもん。
でも、どうやってやるのかな。私にはわからないや。だから、富士山を壊してしまうような人はすごいと思う。
私、こうゆうことわざを聞いたことがあるの。「一人を殺せば殺人者だが、百人を殺せば英雄である。」それと同じだよ。ただの、そこらへんにある、仏像とかを壊したり花壇を荒らしたりする人は悪いやつだけど、富士山を壊す人は英雄になれる。こんなこと思いつく人いないしね。私、すごいこと思いついちゃったかも。

午前0時。

夜は不思議。昼間だったら考えないような、突拍子もない馬鹿なことを考えしまう。
まるで小学生みたい。だけど、小学生だった自分は絶対にこんなことを考えないと思う。だから、やっぱり私はちゃんと19年以上は人生川に流されることに成功している。あたりはまだ、大きな岩があり急な勾配であるから察するに、ここはまだ上流で、ザーッと勢いよく流されている。いつか、中流下流にたどり着いたら、もっとゆっくりとした流れになってきて、それはそれで楽で居心地がいいかもしれないし、大きな岩がなくて退屈かもしれない。
でも、流されないように上流の方でどこかに必死に掴まっていても、体力が尽きてすぐに手を離し、最悪の場合、疲れきって流されるのに失敗し、途中で溺死してしまうかもしれない。
死体として、口が開いたブッサイクな顔で流されていくのは屈辱だから、私は川の流れにあらがわずに綺麗に流されよう。




小学生の頃は、19歳はずっとずっと大人だと思っていた。
制服を着た中学生は年上のお姉さん。
体重が50キロあるのはデブ。
男女が裸で添い寝することがセックスだと思ってそれを想像するだけで顔を赤らめ、路上で熱いキスするカップルは私とは一線を画した大人の階段を登りきった人。
大学生の男はおじさんになる手前の人で、東大っていうのは特別に頭がいい人しか入れないところ。
親に連絡せずに友達と遊びに行くのは成人してからで、ミスドで働くお姉さんはミスドの人。

実際は、
今の私から見る中学生は折れそうなくらい華奢。
女子の平均体重は52キロ。
セックスは添い寝するだけじゃあないしほとんどの人にとって日常にもなりうる。
路上でキスをするのは、大人とか関係なくしたくなったらしてしまうもので、私の同級生は全然おじさんじゃあない。
東大は流されていたらいつの間にかなぜか入っていた。
親に内緒で恋人と泊まりに行く。
ミスドで働くお姉さんは、ミスドの人なんかじゃあなくて生活のほんの一部だけミスドの店員としてバイトをしている人。



大人の階段は一段一段登るごとに、何かができるようになったわけでもなかったな。むしろ、私は時間が経つごとに、下に下に流されていって、流されていくうちに、いつの間にか経験していたということになっていたり理解したことになっていることが多くて拍子抜けしているな。

今文章を書いているパソコンの仕組みも、今住んでいる家がどのように作られたのかも、ips細胞がなにものなのかも、世の中で行われていることがどのようになされているのかさっぱり理解できない。
さっぱりわからないことに、時々大きな不安に駆られる。この先、私はそれらを理解している人たちの足元にも及ばない気がする。
でも、小学生の時に想像していた19歳と比べて、今の私が拍子抜けだったように、それらのことも知ろうとすれば”もしかしたら”案外簡単に理解できたりするのかもしれない。

そろそろ専門を決めなければいけない。専門を決めて、他の一般人にはさっぱりわからないけど私にはわかるということを作りたいなあ。
進振り不安だなあ。