さくらちゃん教

誰かの言葉に魅せられて離れられない時ってありますか。その人を尊敬し、その考えを尊重しそこに重きを置いて行動した時、それはもう宗教なのかもしれません。

私に、「私」という芯がない言い訳

先日、ツイッターの質問箱に


「東大生ってことしかアイデンティティないの?同じ大学に通ってる身としてだいぶ恥ずかしい。」


というものがありました。
結構傷つきました。私、アイデンティティというものが全くないです。東大生ってことにアイデンティティを感じてるかといえば、確かに、成績ギリギリだったのに東大に受かった自分のことを偉いな頑張ったな、と思っていますが、それ以上に大学に入ってから自分のアイデンティティのなさに気づいてどうしていいかずっと分からないです。



一年弱前の話になりますが、私は大学の部活に入部しました。運動は好きでとても楽しかったですし、先輩も優しく、絶対部活入らないつもりだったのに入ってしまいました。
でも一ヶ月半くらいでやめてしまいました。
理由は、部活という縛られた環境に耐えてまで、スポーツをする気になれなかったからです。もちろん、上を目指すならそれなりの練習時間やチームの絆を深めたり食事に気を配ったり、やるべきことがたくさんあります。私は中高バスケ部だったので、そのことを承知で入ったつもりでしたが、大学四年間をある程度犠牲にしてまでスポーツで上を目指そうとか、チームメイトと絆を作ろうとか思えなかったわけです。もっと他に部活をする目標とかあるのかもしれないですが、すぐにやめてしまった私には分からないです。
はっきり言って大学の部活は辛いと思います。それでも、続けている人たちはきっとその辛さに耐えてまで何かのために続けたいと思っているからで、私はとても尊敬しています。

サークルだとしても同じことが言えるかもしれないですが、どうしても多くの時間を潰してまでやろうという気になれません。私は結局何がしたいのかわかりません。
勉強においても、授業は全く聞かないで試験二週間前になったら図書館にこもって死ぬ気で勉強してたので、とても平凡な点数を取りました。バイトも、座ってるだけでお金がもらえます。わざわざ留学に行きたいとかも思わないですし、旅行も計画を立てるのが面倒くさい。暇だから、死とは何か、とか、恋とは何か、とかそんなことばっか考えてます。


それに加えて、私は自分の主張はありません。これが言いたいってことはたくさんあるけど、その主張らしきものは他の人の意見によってすぐに覆されます。どんな人の意見を聞いても「なるほど、確かに!」と思います。

私は、「私」という芯を作ること、半分あきらめています。

どんな意見にもそれに反する意見があると思うんです。
昨日、友人と映画『グリーンブック』を見に行きました。主人公二人にはしっかり芯があって面白かったです。黒人差別がテーマでした。主人公は自分の芯を持って黒人差別に立ち向かうわけですが、私は主人公の強い意志にも感動する傍ら、黒人差別をしている大多数の人たちの気持ちも想像してしまいます。黒人差別をする人の気持ちだって想像できるんです。本当に私が想像した気持ちで、差別しているかどうかはわかりませんが想像することはできます。オウム真理教の人たちの気持ちも、自殺する人の気持ちも、お金に溺れる人の気持ちも、愛する子供を傷つけてまで不倫する人の気持ちも、想像できます。お前になんかわかるわけない、って言われるかもしれないですが、わかっているわけではなく想像できると言っているんです。
芯を持つって、その自分の意思と反対にいる人たちを敵に回すようなものです。共存とかできるかもしれないですが、でもやはり、違う意見の人を尊重していたとしても、自分の考えを持っているってことは相手よりも自分の考えの方が優れていると考えているからだと思います。
私は臆病です。どんな考えを持つ人にも、尊敬してしまいます。生きていく以上、私だって選択をたくさんしてきましたが、どれもこれも無難です。
私は真の民主主義者かもしれません。多くの人が価値を置くものの中で上を目指してきただけです。

何かに対して「嫌い」とか「意味がわからない」と言ったとしても、後々考えると私が嫌いと言ったものを好きな人の気持ちもわかるし、意味がわからないなんてことは少し考えればないことに気づきます。



考え過ぎかもしれません。

少なくとも、私は自分に芯がないことを良いことだとは全くもって思っていないですし、芯が欲しいと思っています。芯がなくて、他の人の意見によく左右される人、別に悪いとは思いませんが面白いとは思いません。面白い人間に、すごい人間になりたいと、こんな私でも思います。どうしたらいいんですかね。なんかアクション起こした方がいいんですかね。それとも、こうやって悩むのが普通の大多数の大学生なのかもしれません

長い言い訳を読んでくれてありがとう。