さくらちゃん教

誰かの言葉に魅せられて離れられない時ってありますか。その人を尊敬し、その考えを尊重しそこに重きを置いて行動した時、それはもう宗教なのかもしれません。

さくらちゃんの魂不死の証明。

ずっと前から思っていたんだけれど、人間って時間の感じる速度が人によって場面によって年齢によってちがうんじゃないかな。

 

楽しいときは早く過ぎるし、苦しい時間は長く感じる。小学生の時は一年が経つというのはとても大きな時間の流れだったはずなのに、最近の一年は思っていたほど長くはないなとお正月を迎えるたびに感じる。みんなも感じているはず。時間の流れが、ときや場面によって変わることを。

 

もちろん、わたしは正確な時を刻む時計を知っている。ニュートンとか天文学者とかが決めた1秒を基準にわたしは生きている。デートの約束の日や友達との待ち合わせ時間を決めるし、一限が8:30に始まるから頑張って起きなきゃいけない、夜更かしはしてはいけないとか(するけど)。

 

でも、物理的な時間とは別に、物理的じゃない時間が存在するかもしれない。とわたしはずっと前から思っていた。それで、ずっと、といっても四六時中ではないけど、考えていた。もし、物理的じゃない時間が存在するなら何がそこから証明できるか。さっき思いついた。

 

仮定基礎定立

①物理的でない時間がある。

②人間は歳を取るにつれて、時間が早く過ぎるように感じるようになる。

 

この仮定が成り立つなら、こういうことが言えるのではとおもった。

年齢が小さくなるにつれて1秒が遅く感じる。1秒を感じる長さをYとして、年齢をtとおく(生まれた時はt=0)。そうすると、t=0のとき、Yの解はなし。t > 0のときYが存在する。で、Y→∞(t→0)。逆にY→0(t→∞)でYは0に収束する。

こう考えると、赤ちゃんの時は1秒の時間が長すぎるから、その頃の記憶がないのも頷ける。ずっと前からわたしは存在していた。t=0は存在しなくて、生まれるという概念すらないから。

そして、死なない。時間の感じ方は0に収束はするけど、逆にいうと、それは永遠の時間を意味する。

 

分かったかな。分からないかもしれない。でもわたしの中ではピンときた。もしかしたら、もう既出なのかな。教養あるかた、もし既出なら教えていただきたい。

ちょっと、数学の証明、とてもとても苦手で高校の頃数学の先生に「さくらさんは、数学の証明が書けたらなあ。もう言うことなしなのになあ」って言われたくらい書けなかったから(言い訳)

だれか理解して、いい感じに証明してくれないかしら。

 

みんなはどう思う?