さくらちゃん教

誰かの言葉に魅せられて離れられない時ってありますか。その人を尊敬し、その考えを尊重しそこに重きを置いて行動した時、それはもう宗教なのかもしれません。

台風の目太郎

女が欲しいと言ったって、その女というのは、あの女でなければ、ぼくにとっては駄目なのだ。

 

大学では、わからないことをわからないと素直に言えない男が、「普遍とは何か」について、論理を転がす。自分は少し特別なんだと心の中では叫んでいる女が、平らな胸を張って、スタスタと歩く。

人間はみんな違ってみんな良い、そんな言葉を賢い僕は幼稚園の時から疑っていて、でも、自分が思いついたことと同じことを友達も考えていたら、心臓が冷たく冷えるから、本当は、みんなと違って僕は良い、になりたいんだと思う。

あの女はあまりしゃべらない。話しかけても、少ししか返さない。なぜ、この女が良いのかと言われれば、たぶん、「言い訳」なんだと思う。僕は誰かを好きになれるし、好きになった人に好きになってもらえる、って信じるための。

もし、あの女に点数をつけるなら、45点くらい。100点満点中45点の女でも、会っていないときは苦しいし、会っていると逆にこんなもんかと冷めてしまう。好きって何だろう。僕は結局、みんなと同じでつまらない、に戻ってきてしまう。

ずっと「普遍」について考えている哲学の教授が、「普遍的な好き」について教えてくれないことは分かっている。けど、じゃあ何でずっとそんなこと考えているんだよ意味ないじゃん、と責める気にはなれない。考えれば考えるほど、見せかけの答えが薄くなっていって、目線の移動だけがうまくなっていく。それでいいじゃん、と僕は思う。「夢の中の蝶が実在の自分なのかもしれない」という考え方があることを決して忘れない男たちが、時代を変えてきたんだよ。

 

女が欲しいと言ったって、その女というのは、あの女でなければ、ぼくにとって駄目なのかな。

 

女と寝たい、とぼくは思う。みんなと同じであるぼくは、快楽を求める。と同時に、道徳も求める。

恋人がほかの男と足を絡ませているのを想像しただけで、心臓はぎゅっと握られるし、女友達が彼氏の前では違う表情をすることを思い出すと、目の前の黄色い笑い声が地獄の音楽のように聞こえる。

かわいい女の子は苦手だ。

ぼくは、女が、服を脱ぐときと服を着るとき、トランスフォームするのを知っている。文字通り、化ける。そうだ、処女じゃない女は、もう一つの顔を持っている。誰でも、表では仲良くしてくれている人が、自分の知らないところで自分の悪口を言っていたら怖いだろう。ぼくも、自分の知らないところで自分の知ってる女が違う生物になっているのが怖いんだ。

とくに、彼女を思うと。

彼女は自分のことを少ししか教えてくれないし、もちろん裸だって見せてくれない。あの女、怖い。ぼくは安心したい、と思う。溶け合うような快楽を与えてもらうよりも、恋人という道徳的なつながりによって、ため込んだ不安を射精させてほしいと、思うんだ。

 

いま、あの女は何をしているのだろう。

 

外に出ることができない今日は、太陽の光も見えないし、ずっと夜みたいだ。洗濯機の中に押し込まれた僕たちは、頑丈な家によって守られる。

なんて暇なんだろう。詩集でも読もうか。片付けをしようか。

あの女に、なにしてるの?と送ろうか。