さくらちゃん教

誰かの言葉に魅せられて離れられない時ってありますか。その人を尊敬し、その考えを尊重しそこに重きを置いて行動した時、それはもう宗教なのかもしれません。

人生・恋愛相談、サマセット・モームがしてくれた【月と六ペンス】

『月と六ペンス』を忘れられない。忘れられないと言っても1週間前に読んだばかりだからまだ1週間の気持ちだけれど。

モームなんて、あの人に出会わなければ私がこの先手にしたことがあったかな。

たぶん、ない。

サマセットモームの本を手にしたのは、あの人と恋をして、失恋して、ブックオフにあの人の好きな作家の本がたまたま安く置いてあって、そんな偶然がなければ読まなかった。でも、それでもそんな経緯を抜きにしても、私はこの本の中でたくさんの対話をしたような気がするの。

たくさんの言葉が突き刺さった。きっと私以外の誰かにもモームの『月と六ペンス』は突き刺さると思う。

 

この本を取ったのは偶然。彼と出会ったのも偶然。

人生なんて全て偶然なのに、「恋はタイミング」なんてナンセンスなこと言わないでよ。

______________________

 

最近、書きたいと思うことはたくさんあるのに上手に書ける気がしなくて全然ブログが更新できないんです。スマホに、メモばかりが溜まっていきます。ああ、文章を書きたい、文字にしたい、発散したい、誰かに聞いてほしい。

 

作家の喜びは、書くという行為そのものにあり、書くことで心の重荷を下すことにある。他には、何も期待してはいけない。賞賛も批判も、成功も不成功も、気にしてはならない

 

たしかに私が文章を書くのは、自分の爆発しそうで抑えきれない気持ちを文字にすることで少し楽になるような気がするからです。どんなに辛い時も文字にすると少しスッキリします。

でも、どうしても、他人からの評価が気になって仕方ありません。Twitterで自分の本気の思いをぶつけた文章をあげても反応は薄いのに、くだらないネタツイをしたらその数十倍ものいいねがされることがあります。「誰も私のことなんてわかってくれない!」そんな気持ちになってイライラするし、そんなこと初めから分かっているのにイライラしてしまう自分には、もっと、イライラします。

 

人の意見などどうでもいいと公言する人間を私は信用しない。それは無知への強がりだ。彼らが世間の非難を恐れないのは自分の欠点を隠しおおせていると思い込んでるからに過ぎない

 

「自分が正しいと思ったなら好きだと思ったならそれでいい、人の目線なんて気にしない。」こう言う人がたまにいます。私にはその人たちが羨ましくて仕方ありません。私も、この、私を苦しめる承認欲求から解放されて、楽になれたらいいのにって。

でも、周りの人には負けたくないし、バカにされたくもない。

唯一無二の自分でありたいと、独立した個人でありたいと思いながらも、世間の目が気になります。周りの人の意見や言葉に流されてしまうんです。

 

私たちは適当なところで世間と妥協する

 

はい、その「適当なところ」というのを決めあぐねているのです。私は、どこまで他人と支えあって生きて、どこまで一人で立って生きていかなければいけないんですか。

私はもっともっともっと一人で生きていきたい。堂々たる一人になりたい。

そう、ずっと願っているのに、夜、寂しくなると、闇の魔物に襲われて、誰かに「辛い」「寂しい」と言わずにはいられない時があります。

恋人と夜な夜なラインをしたり、Twitterをすればするほど、孤独が深まっていくんです。「誰もわたしのことをわかってくれない」そんな思いばかりが溜まっていくのです。馴れ合おうと思えば簡単です。

 

大抵の人間は退屈な生き方に満足しているんだ。幸せとは満足だ

 

今の状況に満足しろということですか!?とてもそんなことはできません。

暖かい家族がいる。一緒にご飯を食べたり好きな本について語り合える友達がいる。周りから褒められる大学に通っている。お金には困らない。女だからって差別された記憶もない。手も足も自由にのびのびと動く。好きな人がいる。私のことが好きな人もいる。でも、周りから見て、私がどれだけ幸せにならなきゃいけない環境だろうと、ささやかな幸せに感謝しなきゃいけないと言われたとしても、私は幸せじゃないんです。

 

自分が一人の存在だってことがすごく怖いんです。一生、他の人には私はなれない。好きな人と隣にいてもキスしてもハグしてもセックスしても50年一緒に過ごしても相手の気持ちを知りたいと思っても肌の温度を知っていても、なれない。ずっと一人で生きていかなきゃいけない。

 

愛が欲しいんです。

 

愛などいらん。そんなものにかまけている時間はない。愛は弱さだ。俺も男だから、時々は女が欲しくなる。だが、欲望さえ満たされれば、他のことができるようになる。肉欲に勝てないのが、いまわしくてしょうがない。欲望は魂のかせだ。おれは、すべての欲望から解き放たれる日が待ち遠しい。そうすれば何にも邪魔されず絵に没頭できる。女は恋愛くらいしかできないから、ばかばかしいほど愛を大事にする。愛こそ人生だと、女は男に信じ込ませようとする。愛など人生において取るに足らん。欲望はわかる。正常で健全だ。だが、愛は病だ。女は欲望のはけ口にすぎん

 

 

.....................。

愛は大切じゃないんですか。多くの男女は愛を求めて生きていると私は思います。

 

 

大抵の男にとって、愛は日々の雑事の一つでしかない。小説の中では愛は、さも重要であるかのように誇張されるが、現実にはそうではない。小説はあくまでも作り物だ。世の中には愛こそすべてという男もいるにはいるが、そういった連中は魅力に欠け、愛に最大の関心を払う女からさえ見下される。女は色恋好きの男におだてられると楽しい気分を味わうが、実際は、つまらない男だと不満に思う。男はたまに恋に落ちた時でさえ、恋愛以外のことに興味を抱く。生活費を稼ぐため仕事に集中し、スポーツに熱中し、芸術にも夢中になる。男は大抵いろんなことに首を突っ込んでいて、そのうちの一つに集中している間は別のことに邪魔をされるとうんざりする。愛における男女の違いがここにある。女は一日中愛していられるが、男は時々しか愛せない

 

そう言われると、思い当たる節はところどころあります......。なぜか、私のことをとても好きになってくれそうな人のことは好きになれないんです。その人たちのことを好きになれれば幸せになれるのかもってたまに思います。でも、私になんかより何か他のことに夢中になっている男の方がずっと魅力的に見えるんです。

なのに、そんなこと言っている私自身は、恋人がいる時、相手のことばかりずっと考えていて、他のこともしようなんてほとんど思いつかないんです。だって「その人といる時が一番幸せだから、それでいいじゃん」って。

普通だったらめんどくさいことがすごく恋しくなるんです。

でも相手はそうじゃなくて、勉強だったりサークルだったり他の友達だったり他にも夢中になるものがあります。それが、羨ましくて悔しくて苦しい。

 

恋をすると人は夢中になりわれを忘れる。どれだけ聡明な者も、頭ではわかっていても、自分の恋がいつか終わることが信じられない。本人でさえ幻想だとわかっているものに、恋は形を与えるのだ

 

はい、本当は彼は素敵な人だけれど、ここまでして執着する必要のない人だってわかっています。彼と一緒にいるときの満たされる心は幻想だって。幻想なのに、「これは恋だ」って思うと自分の妄想から抜け出せません。「ほんとうの恋」ならどんな犠牲を払っても許されるような衝動にかられるんです。

 

感情には理性のあずかり知らぬ理屈がある

 

私の理性は、私の感情の理屈が全く分かりません。こうやって文章にして解き明かそうとして少しは分かったような気もするけど、実際改善しているかどうかもわからないんです。

だって、今でも私は前の恋人のことを三ヶ月も引きずっているし。もう好きじゃない、とは思うんです。でも恋人になるってことは、お互いが仲良くなるために努力することだと思うんです。それなのに別れた瞬間お別れなんて、そんなのできるわけがありません。

 

私は男になりたかった。悔しくて仕方ないです。男だったらきっと、私の尊敬する大好きな彼は私のことなんて相手にしてくれなかったし、良い友達になんてもちろんなれなかったでしょう。私が「女だから」という理由で、彼が仲良くしてくれたってことは分かります。だって、私って特に何も面白みもないつまらない女だと思うから。だから本当は彼と対等に仲良くなりたいけれど、媚態を使って性欲の沼に引きずり込んでいるだけなんじゃないかと、ふと、思うんです。でもどうしようもなくて、彼に離れられたら、また空っぽになってしまいそうで。

 

女は男を愛すと、魂を所有するまで満足しない。女は弱いから、相手を支配しようと必死になる。支配するまで決して満たされない。女は狭量だ。抽象的な考えには腹を立てる。理解できないからな。ものにばかり目が行き、理想に嫉妬する。男の魂は宇宙の果てをさまようが、女はその魂を家計簿の項目に入れたがる。

驚くほどの粘り強さで、おれを罠に仕掛け束縛しようとした。おれを自分のレベルに引きずり降ろそうとしたんだ。おれ自身には関心がなく、ただ、おれを自分のものにしたがった。おれのためなら喜んでなんでもしたが、おれが唯一望んだことだけはしてくれなかった。つまり、おれを放っておくことだけは

 

そういっておいて、たまに、都合のいいように私のことを呼ぶんです。その声を無視したいと思うんですが、体が勝手に喜んでしまいます。最悪です。背徳感はエロくて最高だと思いますが、行き過ぎて罪悪感となってしまうのです。

 

「そういう男にはこう言えば良い。

数カ月の間1度も女のことを考えなかったとしましょう。あなたはそういうこととは永遠におさらばできたと思い、自由の身になれたことを喜び、魂を我が物にしたと感じる。星のきらめく天上を歩いているようなすばらしい気分を味わう。そこで出し抜けに我慢できなくなる瞬間が訪れ、自分がずっとぬかるみの中を歩いていたに過ぎなかったことを知る。あなたはぬかるみの中で転げ回りたい衝動に駆られそして卑しく浅ましい性のおぞましさを体現しているような女を探す。あなたは野獣のように女に襲いかかりそして激情で何もわからなくなるまで性を貪る。

そして奇妙なことが起きる。終わったときあなたは信じがたいほど清らかな気分になっている。肉体から遊離した霊のような気分で。まるで物質に触れるように美に触れることができると感じる。そよ風や、芽吹き始めた木々や虹色にきらめく小川と交換できるような気がしてくる。まるで神にでもなったかのように

 

なるほど、「性欲に打ち勝ちたい」「その場の誘惑に流されず、強く男らしい美しい人間でありたい」と多くの男たちは思っているけれど、性欲から逃れられないのですね。ありがとうございます、どうしても誘惑したい男がいたらモームさんのお言葉を引用させていただきます。「私を抱けば神のようになれるよ」って言ってみます。

 

はあ、、、、ほんとは好きな人には女としてではなく個人として見られたいのに、どうしても汚い手段を使ってしまう時がある。そんな自分が大嫌いです。

 

あなたはまだ、人間がどれだけ矛盾に満ちた生き物なのか分かっていないのだ。誠実な人間にも偽善的な面は多くあり、上品な人間にも卑しい人は多くあり、また罪深い人間にも多くの良心がある

 

ああ、サマセット・モームさん。

好きです。また他の本も読んでみます。