さくらちゃん教

誰かの言葉に魅せられて離れられない時ってありますか。その人を尊敬し、その考えを尊重しそこに重きを置いて行動した時、それはもう宗教なのかもしれません。

春休みの"普通な"一日。

暇な春休みの1日をここに書いておく。昨日のこと。

 

 

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朝の7時半

朝早くにいつも目が覚める

朝はご飯

朝は洗い物

 

顔を洗う

日焼け止めを塗る

薄いメイク

 

彼の家に向かう

 

家の奥にはグランドピアノ

隣に聞こえぬように重い鍵盤をそっと叩く

声をひそめるようにSomeone in the Crowdを弾き語る

見慣れぬ畳に寝転がる

薄い布団に寝転がる

何もせずにぼーっとする

 

スーパーで買ったグラタンをチン

たいめいけん監修のエビグラタン

 

ここの景色良くない?とあなたがいう

空が広いから良く見えるんだと思う

 

小田急線の車窓に映る自分

夏に比べて頬が丸い

痩せたらなにしてくれるの?と聞く

どうして欲しいの?と聞かれる

ミュージカルに行こうと思った

中3に見た劇団四季のリトルマーメイド

あの時からいつか好きな人とミュージカルが見たかった

 

駒場東大前

 

下北沢

 

なんだか赤くて酸っぱいティー

えいみーが解説を書いている江國香織の小説

二人の文章が似ていて驚く私

 

TikTokにはまる小学生と算数

勉強させる私とホワイトボード

 

ホットクックのチキンカレー

たっぷり二杯

 

私の最寄り

彼は待つこと1時間

一緒に家に向かう

 

お風呂に入る

漫画を読む

シラバス見ながら履修を組む

 

おやすみ

おやすみ

狭いベッドで言葉を交わす

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いつもなら、

こんなただの幸せを記した言葉は、メモに残されるだけで充分。人に見せなくてもいいし、見せないほうがいい。自分の中に取っておくだけが一番いいことのように思える。

 

でも、今日の朝、起きたら「おじいちゃんが亡くなった。」というメールが届いていた。

 

昔、最近とは比べ物にならないくらい元気だった頃、公園に連れて行ってくれたり、百円ショップでいくらでも私が欲しいものを買ってくれたこと。地方の大学で一人暮らしがしたいと言ったら、東京にいるんだから東大に行きなさいと言われたこと。やってできないことはない、と繰り返し私に言い聞かせていたこと。

死ぬのが怖いと言っていたこと。

 

もう、怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて怖くて仕方がない。

 

どうして、幸せなことがあっても、それをかき消すように嘲笑うように不幸が訪れるの。どうして、不幸なことがあってもう生きたくないと思っても、それを飲み込んで忘れてしまうほどにまた幸せが訪れるの。きっとそれもいつか終わりが来て、全部プラマイ0になって消えていく。

昨日は幸せで忘れていた。また不幸が訪れることを。一度学んだはずなのに、幸せに酔っていた。いや、忘れていたわけではなかった。私は言った。

「いつか終わっちゃうんだよね。」って。

「今を楽しむしかないよ。」って当たり前のことを彼が言った。彼が悪い。

 

私のことを、恋人に依存するただのアホな女だと思っている人も、クソみたいなクズ女だと思っている人も、逆評定にガチキモイSNS・嫌悪感を催すブログって書いた人も、◯ない (多数)って書いた人も、性欲モンスター・ヤリマンそうって書いた人も。みんな、ざまあって思えばいいと思う。私のこと嫌いでも無関心でも、私は怒りもしないし嫌いにもならないしこっちを見てと強制したりしない。だけど、こういう時だけ、私に対してざまあって思わない人たちを、私は卑怯だと思うし軽蔑するし嫌いになる。

 

死ぬのは怖い。悪いことだ。よくないことだ。ソクラテスは「死ぬことは人生で最大の善かもしれない。」と言った。でもそういうことではない。誰も経験したことのない未知の世界に行かなければいけないことは、とんでもなく怖いことだ。何が待ち受けているかわからない。善かもしれない。だけど、その真反対かもしれない。死にたくない。誰も死んでほしくない。みんな不死身になって、どんどん人口が増えていけばいい。それか、人間の性欲を全て取りさらってしまえばいい。そうすれば、究極の恐怖から解放される。

 

この記事の写真は、去年の夏、振られる直前、この後に不幸が待ち受けているとはつゆも知らないアホで呑気な私が東京タワーの綺麗さに見とれているところを、この直後に私を振った人が撮った写真。今までこんな写真を撮られていることを知らなくて、昨日、初めて受け取った。

残酷な写真。

伏線だったのかもしれない。