さくらちゃん教

誰かの言葉に魅せられて離れられない時ってありますか。その人を尊敬し、その考えを尊重しそこに重きを置いて行動した時、それはもう宗教なのかもしれません。

ホワイトデーのお返しに安堵した

ホワイトデーのお返しをもらった。とても嬉しかった。欲しいものがもらえた。

お返しなんていらないと思ってた。むしろ、いらないものを貰ってしまったら、反応にも困る上に、いらない物をもらっただけなのに一応物をもらったということで感謝を強要されそうでいやだった。何かをもらうのが怖かった。今まで、もらったことなかったから。万が一、ハートのチャーム付きのネックレスとかなんてもらってしまったら、興ざめすぎて、絶対に別れようと思っていた。

でも、ちゃんと欲しいものがもらえた。嬉しいのもそうだけど、安堵の気持ちでいっぱいだ。やっぱり、この人にバレンタインあげて正解だった、と。

本をもらった。
私が山田詠美が好きなのを知っていて、彼女の本だと既に読んでいる可能性が高いからと言って、彼女が人生において一番影響を受けた本だとトークショーで話していた本をくれた。安いものでごめんと、言いながら渡してくれた。

プレゼントは値段が高い方がいい、というのはあながち間違いではないと思う。値段が高いほど、自分のことを思ってくれているんだと女は思うから。高いことが重要というよりは、値段が高いものをくれるほど自分のことを好きでいてくれているということが嬉しいんだと思う。でも、値段の高さで勝負するのは簡単に愛を示すことができるかもしれないけど、値段以上の愛を示すことはできない。だから、自分の欲しいものを一生懸命選んでくれて、しかもそれがドンピシャだった時、いい男だなって思ってしまう。

そう、私、彼のこといい男だなって思ってしまった。完敗してしまった。


ふと、「もし彼に振られたら、私は何もなくなってしまう。」と思った。思ってしまった。
彼の穴に落とされて抜け出せなくならないようにと、ずっと気をつけてきたのに。依存体質なのかもしれない。

このブログを書きはじめた動機も、10割、彼に読んで欲しいからだった。いくつか書くうちに、少しずつ自分のために書くようになったけど、最初の文章は完全に彼に向けて書いた。
「処女はあげられなかったから、処女作をあげるね。」と言ったら、笑ってた。

依存を繰り返して、また自分が傷つかないように、彼のことを振りたくなってきた。
私は子供だ。自分のためにいつでも動いている。誰かのために何かをしようと思うことが、人間を成長させると聞いたことがある。
でも、そこまで思うほど、他人を愛せる気がしない。裏切られたら、自分が死んでしまうかもしれない。


私、もう一生外に出たくない。