さくらちゃん教

誰かの言葉に魅せられて離れられない時ってありますか。その人を尊敬し、その考えを尊重しそこに重きを置いて行動した時、それはもう宗教なのかもしれません。

マズローの恋の五段階欲求 恋と性欲、欲求

恋と性欲、欲求の違いについて悩んだり不思議に思っている人たちに読んで欲しいなあ。



ラブホテルに行って、哲学書を読む。私たちはラブホテルでセックスなんてしなくても楽しめるんだよってちょっと得意げになったりする。哲学書を読むんじゃあなくてもチェスをしたり真面目に勉強をしたり。これぞ高貴な遊び。
て思っていたらやっぱりセックスをしてしまう。なんて回りくどいことをしているのだろう。結局好きな人と一緒にいたらしたくなるなんて当たり前だ。人間なんて目の前にいい男いい女がいたらその生理的欲求は抑えられないんだ。なんて単純で可愛いんだ。

お互いに自分の全てを素直にさらけ出してしまう。秘密がなければないほど、互いの弱い部分も見えてきて、相手にどう思われているかなんて不安になるものだ。
けれど、彼がそんな弱いところも愛してくれると言った時、ああ本当は私、自分の弱い部分を誰かに肯定してもらいたくて仕方がなかったんだなあって気持ちになる。私が弱いところを見せたかったように、きっと彼も、誰かに弱い部分をさらけ出して欲しかった。
だから、そうすることを人を愛する手段として私たちは選んできたのだ。
ごめんねって私がいう。
どうしてって彼がいう。
私は困ってしまう。本当にごめんねって思っていたわけじゃなかった。ただ、弱い部分をさらけ出してしまったからにはそういう風に続けるのが自然で、そう続けて言っただけだった。彼もそれがわかってたのに無駄なことを聞いてしまったからか、
ごめんね、と言った。
なんだか謝ってばかりの私たちだった。
でも、そんなやりとりが私を安心させる。ちょっと無理があるかな、安全の欲求

もう少しだけ顔を近づければ触れるのにお互いにその距離を縮めようとしない。こういうのを本当の恋の駆け引きというんだなあ。どちらが先に動いて相手の唇に口付けるのかが私たちの間では最高のゲームなのだ。
彼の目を見つめる。彼はその目はずるいという。でもこれはゲームなのだから仕方ない。
あなたには、その困ったような目も、広い背中も、少し乾燥していて湿らせてあげたいと思ってしまうような唇も、全部持っているっていうのに、私にはこうやって、ただ、見つめることしかできないのだ。これしか戦略がない私にずるいというのはダメだろう。
早く、なんでキスしないの。
と私がいうと彼は、
別に俺は我慢できるから。
という。
そんな時私は幸せなのだ。彼がそうやってわかりやすい強がりをいう時、私の愛の欲求はすべて満たされるような気がする。

寂しくてやけになってしまって生まれる恋はきっと安定している時に訪れる恋よりもすぐ冷めてしまうし虚しいもの。だけど、やけ恋ほど即物的に心が満たされるものはないんじゃあないかと思う。
自分の「好きと誰かに言いたい感情」をただぶつけ合うのは本当はみんながしたいことなんじゃないかな。現実では恋に恋するのは相手にも自分にも失礼な感じがしてちっぽけなものに思えるけど、恋に恋するほどさみしさは紛らわせる。それの何がいけないの。
承認欲求は熱い恋の原点だわ。恋は冷めるから熱いの。陳腐な文句だけど本当にそう。

恋愛なんてくだらないこと早く終わりにして、もっと違うことしたい。くだらなさすぎる。病気だ。治したい。
こんなことを思う時、人は理性をもってして、山積みになった仕事についてなんか思い出したりする。さらに、彼女への愛が性欲じゃないだろうかと不安になったりする。
恋をしていると理性なんてないようなもんだから予測のつかないことばかり。ふと、我に帰ると、なんて阿呆なことをしていたんだろうと自己を抑制したくなる欲求にかられる。これこそ自己実現欲求
だけど誰がこんなにハプニングの起きる恋の楽しさから逃れることができるのでしょうか。
もう諦めてしまおうよ。禁欲なんて無駄。
自分の欲求に素直になることができる状況を作ることが一番の自己実現だったりするのかもよ。


思ってることを文字にするって最高。素敵だな。
割とフィクションです。妄想です。